精神科救急の現場から
登場人物は
すべて
架空の人物です。
●警察からの連絡で診察の準備を
今日は日曜日、杉岡医師は当直勤務である。
病棟看護師の飯田昇(いいだ:のぼる)とともに入院患者さんの回診を終え、ナースステーションに戻ってきた。飯田はナース歴30年のベテランである。患者さんをよく見ており、経験も豊富でまかせられる。
入院状況表で隔離室が2床空いていることを確認。
「飯田さん2床空いてるけど、今日はこれで足りるだろうかね?」
「足りてくれるといいんですけど、もしもの時は、A4病棟の谷口さんをA5病棟に移ってもらって、A3病棟の西さんを空いたA4病棟へ、隔離室の西浦さんをA3病棟に移すことでもう1床空けられます」
「なるほどね。救急患者さんが来なければ、医局へ戻り論文の下書きが出来るかも知れないと考えていたんだけどやっぱり無理だよね」
「まあ、いつも通りだと思っていた方が無難でしょうね」
「寝る時間はあるだろうね」
「少しはとれるんじゃないですか」
「そんなとこだろうな。それで、4人めが来ても大丈夫?」
「なんとかしますよ。5人めくらいまでは対応できそうですから」
「じゃ、その時は任せるね」
「はい、わかりました」

そこに相談室の真鍋香織(まなべ:かおり)がやってきた。
真鍋の顔を見た瞬間、杉岡医師は『もう来たよ。やっぱり論文の下書きはできそうもないか』と思った。
「先生、青梅警察から電話で、コンビニに入って暴れた男性を保護したところ覚醒剤使用の疑いがあるので連れて行って良いか聞いてきてますけど」
「あっ、わかった。それとどんな状況かよく聞いといてね」
「わかりました、確認します。じゃあ、連れてきてもらって良いですね」
「どれくらいで来られるのかも確認しといてね」
「はい」

「1時頃、来るそうです」
「2時間もかかるのか。それで詳しいことは聞いた?」
「はい、氏名はモリオカ マサヒコさん、仮名です。保護された状況なんですが、道路で大声をあげて騒いでいる人がいるって110番通報があって、その後、コンビニから店で暴れている人がいるので来てほしいと電話があったそうです。」
「じゃあ、どこからかきて道で暴れてそのあとコンビニに行ったんだ」
「そのようですね。それで警察官が駆けつけて保護したんですが、どうも言動がおかしいので診てほしいということでした」
「おかしいっていうのは、どのようにおかしいの?」
「ええ、それがはっきりしなくって、ただ注射の痕もあるし、状況から考えて覚醒剤だと思うそうです、ただ問いかけにはきちんと応対ができなくて、名前も分らないと答えるそうです」
「あっ、そうなんだ」
「でも、本人の了解なく強制的に検査もできないし、精神症状もあるのでそちらで診てほしいとのことでした」
「わかりました、じゃあ飯田さん用意お願いします」
「わかりました、私と鈴木君でいいですね」
「そうだね、お願いします」
●尿検査で覚せい剤の反応が出て
2時間後、警察官に付き添われて患者さんが到着。
警察官にかかえられて診察室に入った。とくに暴れる様子はないものの、この寒い季節にもかかわらず汚れたTシャツとブリーフだけという姿は見るからに異様である。
「まだ、頭のなかが真っ白」だとつぶやく
「名前はなんと言うの?」と杉岡医師が尋ねる。
反応がない。
「何かお困りなんじゃないですか?」「どこにお住まいですか?」など何度か尋ねても、体をわなわなと震わせ時折キッと杉岡を睨むだけで返答がない。 血圧を測る際に肘の内側を見ると、確かに注射痕らしき内出血班がある。自動血圧計が出した血圧・脈拍は、かなり高い数値を示している。
「飯田さん、点滴の用意をお願いします。薬も入れますから」
「はい」といって飯田は隣の資材庫から点滴用具一式を出してきた。
杉岡医師が薬の指示を出すと、点滴液の中にその薬を入れた。
ベテランの飯田にすればこんな時にはどの薬をどれくらい入れるかは分かっているのだが、必ず杉岡医師の指示をまって行動する。

モリオカさんに杉岡医師が書類を読み上げる。
「自分の名前もわからないようですし、自分で何をしているのかもわからないようですから今日は入院してもらいますよ。緊急措置入院といって、・・・」
モリオカさんは渡された書類をじっと見つめ
「名前わかんないから書けねえ」とつぶやく。

点滴を開始し、鎮静剤を注射すると、うとうと眠りだしたため管を使って尿検査を実施すると、案の定覚せい剤の反応が出た。
モリオカさんはそのまま拘束された状態で隔離室に入院となった。
一方、つきそってきた警察官は覚醒剤反応がでた尿を証拠として押収するための書類作成のためにいったん警察署に戻った。
●退院、即逮捕!!
数時間後、病棟詰所で書類を作成していた杉岡医師のもとに
「警察の方が来ました」と連絡が入った。
「裁判所の令状が出たので、尿を証拠として差し押さえます」と警察官。
杉岡医師が尿を保管している検査室まで案内すると、警察官が保管状況を写真に撮ってゆく。

深夜の回診時に様子を見るが変わった様子もなく寝ているようだ。 病棟詰所には隔離室の様子を確認するモニターがあるが、看護師は約15分おきに拘束している患者さんの様子を直接自分の目で確認し、事故がないか注意している。

翌日にはモリオカさんもだいぶすっきりした様子で朝食をぺろりと平らげたが、身元については依然語ろうとしなかった。
薬物中毒の場合は1日程度で状態が改善することが多い。
杉岡医師が診察し、隔離拘束の必要性がなくなったと判断、拘束を解き、隔離室から出ることになった。モリオカさんは隔離室から出るとすぐに待機していた警察官に覚醒剤使用容疑で逮捕され警察署へと連行された。

「モリオカさん、これでもう懲りて覚せい剤をやめられるといいですね」
看護師のミク(奥村未来)が杉岡医師に話しかける。
「いや、何度逮捕されても覚せい剤に手を出す人は沢山いるからね。モリオカさんも多分初めてじゃないんじゃないかな。だから身元を話さなかったんだと思うよ。だから薬物依存は本当に恐ろしいし、学校でもそうやって教育しているのに、最近の大学生ときたら・・」
と杉岡はぼやいた。
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