精神科救急の現場から
登場人物は
すべて
架空の人物です。
●生きることに疲れたあなたへ、経済的なことも含め色々な相談窓口があります。
「生きる(自殺予防総合対策センター)」の相談窓口一覧
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/ikirusasaeru/index.html

「内閣府」の相談窓口一覧
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/soudan.html
●中学生が自殺未遂?
少女の名前は松田優菜13歳の中学2年生、姉、妹と弟の4人兄弟で上から2番目である。父親は36歳、母親は37歳であるが誕生月の関係で今は母親が1歳上になったが本来は同級生である。母親は現在5人目を妊娠中。優菜の姉は18歳で高校3年生、妹は小学校の5年生で弟は幼稚園の年中組である。その少女が飛び降り自殺を図った。もっとも本当に死にたかったのならもっと上層階から飛び降りるのが普通だが、この少女は2階から飛び降りた。

 おおぐま病院で午前の診察を終え、昼食をとっていた杉岡医師に救命救急センターから電話が入ってきた。
「救命救急の高橋と申します。先ほど飛び降り自殺を図って運ばれてきた少女なんですが、リストカットの痕がたくさんあるんです。飛び降りのけがはたいしたことありませんのでもう処置は終わりました。念のためCTも撮ってみましたが問題はなく、命にも別状ありません。こちらとしてはこのまま家に帰してもいいのですが、今回の飛び降りとリストカットの痕を見ると、精神科で診てもらった方が良いと思いましてお電話差し上げました」

 救命救急センターの高橋医師によると、少女は2階から飛び降りたものの下には、ケーキ店のテントが張り出していてそこに落ち、ショックがやわらげられ、その下の軽トラックの荷台で止まったと言う。しかもその軽トラックには布が大量に積まれており、骨折や頭蓋内出血もみられず、手足の傷で済んだとのことである。

 むしろ問題は両手に刻まれた無数とも言えるリストカットの痕だった。そのことについては、どのように聞いても、少女は何も答えなかった。しかも「お家へかえる?」と聞いても答えない。それでおおぐま病院に連絡してきたのだと言った。

 杉岡医師は少女をおおぐま病院に送ってもらうように伝え、外来看護当直の奥村未来にそのことを伝えた。 救急車で到着した少女が診察室に入ってきた。
杉岡医師の診察が始まった。
「学校はどうしたの?」
「今日は創立記念日で休みなの」
「本当?」
「・・・」 このような会話が少し続いた。

杉岡医師はこのまま続けてもこの子の心を解きほぐすことはできないと感じ、看護師の奥村未来を呼んだ。
「奥村さん、僕少し用があるのでこの子の手当お願いね。すぐ戻ってくるから」 といって診察室を出た。 杉岡医師が言った“僕少し用がある”というのは手当をしながら心をとぎほぐしてほしいという未来へのメッセージである。未来もそのことはわかっているので、手当をしながらやさしく話しかけた。

優菜も中年おやじの杉岡医師ではなく、自分より少し年上の未来に親近感をもったようである。先ほどに比べ表情が少し和らいでいる。
「痛かったでしょう」
「うん」
「でも、幸運だったよね。強運の持ち主だね」
「そんなことないよ」
「2階から落ちたのにこれくらいの傷ですんだのだから強運の持ち主だよ。幸せになれるよ」
「どうでも良いよ、そんなこと・・」
「学校は好き?」
「うん、大好きだよ。勉強はできないけどね」
「そう。学校、好きなんだ。休まずに行ってる?」
「休むこともあるけど、学校は好き!友達とも会えるし、家での・・」 優菜が口ごもったところを聞き逃さず、
未来は 「えっ? 家がどうかしたの?」とやさしく、それとなく聞いた。
それに対して「何も無い」と素っ気ない応えが返ってきた。
●「大好きな姉に似ている」と看護師の未来に心を少し開く
「兄弟はいるの?」と聞くと、 「お姉さんと妹と弟がいる」と言う。
「へえ、四人兄弟なんだ。仲は良いんだろうね?」未来は家に問題があると感じ、何らかの糸口がつかめればと兄弟のことを話題にした。
「仲、良いよ」
「妹さんや弟さんはどんな子?」
「妹は小学5年生でおとなしい子。弟はね、幼稚園に行ってるの。やんちゃだけどねかわいいんだよ」と少し笑顔になってきた。
「そうなんだ、弟さんのこと好きなんだね」
「好きだけど、やんちゃでいたずらばかりして、叱るとすぐに泣くんだ、で、私が叱られる。ずるいよ」
「あっ、それわかるよ。私も弟がいるんだけど、子供の頃、弟に木で頭をたたかれて、それでとっても痛かったので叱ったら、弟が泣き出して、それで私がお母さんに叱られた」
「看護婦さんもそんなことがあったんだ」
「そうだよ。その時、私すごく痛くて、涙が出たんだから。あいつ木の棒で思いっきり叩いたんだから、しかも笑いながらだよ」
「看護婦さん、かわいそう」
「それなのに、弟が叱られずに私が叱られたんだよ。ずるいよね」
「そうだよね」と話にのってきた。

そこで今度は「優菜ちゃんのお姉さん、歳はいくつ?」と聞いてみた。
「高校3年生、もうすぐ誕生日で18歳になる」
「優菜ちゃんはお姉さんにいたずらすることないの?」
「しないよ、お姉さんのこと大好きだもん、妹と弟の事も好きだけど、お姉さんが一番好き。なんだかうちのお姉さんって看護婦さんに少し似てるかも」
「あら、私、お姉さんに似てる?ありがとう」
「少しね」
「お姉さん、妹から好かれて幸せだね」
「そんなこと・・・」と小さな声で優菜がつぶやいき、表情が曇ったのを未来は聞き逃さなかった。

この会話を隣室で聞いていた杉岡医師は恩師の岩村教授から聞いた話を思い出した。
その話とは リストカットを繰り返す中学生の少女がいて、原因を調べていくと父親から性的暴行を受けている事がわかった。その子は3人姉妹の真ん中でお姉さんも同じように父親から性的暴行を受けていた。小さな家で、専業主婦の母親がそのことに気づいていないとは思えないのだが、母親は知らなかったと言っている。結局父親は逮捕されたのだが、そのことが少女にとってはまた、心の問題を引き起こしてしまい、しかも担任の若くて教育熱心な男性教諭が土日も休まずこの問題に深くかかわったことで別の問題まで引き起こしてしまった。というものであった。

杉岡医師は診察室に入った。
「ごめんね、待たせて悪かったね」と優菜に声をかけた。それから未来に向かって
「処置、ありがとう」と言った。
「さあ、優奈ちゃん、処置は終わったし、お母さんに迎えに来てもらうように連絡してもいいかな?」と聞いた。
優菜は躊躇していたが、未来に促されると「ハイ」と答えた。
診察を終えた杉岡医師は未来に向かって 「少しでも早く解決してあげなければならないけど、時間がかかりそうだね」と言った。
未来は黙ってうなずいた。
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